ツグミには、しばらく部活が忙しいと言って会えなかった。
ツグミは、それからあんなことはしなかった。
俺も拒絶はしなかったしキスしたからと言って何一つ変わらなかった。
「わからん。」
「なんだよ、一体。」
柏木は、ため息をつく俺をつつく。別に仲良くはないが、人懐っこい男だ。
「柏木、柏木は彼女とかいるか?」
「は、はあ!?何、樋口くんもなんかそう言う会話好きな人!?」
「いや、違う。苦手だ。」
「無理すんなよ。なーんか、樋口くんって独特だよなあ。たまに怪我するし。
目付き悪いのに優しそうだし。ツグミちゃんが好きになるはずだ。
鈴木も惚れてたけど軍配はお前にあるよ。」
「鈴木?」
「B組の。鈴木一派の鈴木。」
「あぁ。お前も一派だったな。」
「なんか、派閥みてーな言われようだよな。あ、俺はいつでも募集中〜。好み煩いから俺。」
「そうか。」
「樋口くん、ツグミちゃんとはどこまでいったん?」
「ん?どこまで・・・か、手を繋いだだけだ。」
あのキスはカウントしてはいけないような気がして隠したが柏木は不満そうに口をつきだした。
「なんだよー。純愛か、殺伐とした顔してんだから殺伐としてろよー、こう野性的にさー。」
「はぁ・・・ただ、俺の我が儘で付き合ってくれてるだけだからな。大切にしないと駄目だ。」
「やっぱり変なのー。婚前交渉はしないですって言いたい派か。てか我が儘?ツグミちゃんをしらないな。」
柏木は得意気な顔をして俺を見た。
「知らない、のか?」
「ツグミちゃんは、気に入った人間には甘いけど後には厳しい。気に入られるだけすげーって。」
「茶化しているだけだろ。」
「感じ悪いねー、いつか刺されるぞ。」
「大丈夫、俺強いから。」
自信ありげにいってみれば柏木は手を叩いて喜んでいた。
俺とツグミの関係はどうあれ、高堂とも恋人の噂を囁かれながらも俺との友人関係が修復するわけでもなかった。
それぞれ仲の良い人間を変えながら、交わらないそれはもどかしい。
高堂が初めて、約束を破ったのだと理解するのにじひと月を要した。
鈍いのだ、全てにおいて。
こんなことになるなら、告白を受けてしまえばよかったとも思う。
今になってしまえば後の祭りだろう。
高堂のことを考えるのはやめてから幾日か。ツグミとも別れて俺はまた昔に戻ることを決意したのは本日。
しかし、決意した時と言うのは何かと変化が伴うことが多い。
放課後、真っ直ぐ帰るつもりだったが進路提出の締め切りが明日だったのを思い出す。
前回提出だったが、ニートと書いて再提出をくらった。
大学も専門も、名前すらよくわからないので資料室に行かねばと思っていた。
あそこには行きたくなかったのは本音、
インターネットで調べればすぐだからと思ったが、区切りをつけるために行かなければと思った。
気だるい足取りを無理に向かわせ、扉を開けたが資料室には、誰もいなかった。
少しどころかかなりホッとした。
適当に学校資料を数ヶ所ピックアップしてその名前を提出書類に書いた。
気持ちは焦っていた。
早く帰らなければと鼓動がうるさい。
何故だろうと、窓を見れば雨が降っていた。
雨音が耳を擽る。
あの時と、同じ状況。
違うのは、俺は1人だということだ。
「馬鹿らしい。」
俺は自虐的な台詞を口にした。
状況は同じだが、時間は戻らないのだ。
自覚したことでさらに頭を悩ませた。
ひとしきり紙面に文字を埋めたところで俺は足早に立ち去ろうとしたが雨音が俺の足を鈍らせる。
雨が降るのは予報と違って傘がない。
雨は結構な勢いで、ずぶ濡れるのは確実だ。
もう少し残っていれば止むだろうか、
そんなことを思いながらドアに足を向けるとガラリと、ドアを開ける音に背筋が凍った。
「・・・あ。」
「樋口くん。」
苦笑しながら、高堂は俺を見た。
「どうしたの?また日直忘れた罰?」
「今日が当番じゃないこと、知ってるだろ・・・。」
「そうだね。」
高堂は穏やかな笑みを浮かべている。
雨音がうるさい。
「随分、話してなかったね。」
唐突に高堂は言った。
「もう俺と話すのは嫌だろう。」
「まさか。時間が欲しかっただけだよ。友達に戻るには必要な時間。」
酷く簡単に高堂が言うので耳を疑った。
「忘れていたんじゃ・・・?」
「俺が、樋口くんとした約束を忘れるわけないよ。
本当は先延ばしにしたい気持ちもあったけど、やり直すには絶好の環境だ。」
窓の外を指さした。
俺は雨に顔をしかめたが、高堂はさして気にせず話を続けた。
「時間が、やっと俺に冷静さをくれたのかな。・・・でも、樋口くんは嫌じゃないの、俺なんかが側をうろついて。」
そう、申し訳なさそうに高堂が言ったとき俺の中で何かが弾けた。
口から言葉が次々と出てくる。
「そんな!俺は、ずっと高堂を待ち望んでいた。俺がどれだけ、どれだけ悩んだかわかるか!?
しかも彼女まで出来て新しい友達と仲良くして、俺はもうお前の視界にも入らないのだと・・・。」
「彼女?」
高堂はぽかんと気の抜けた表情をしていた。俺は感情が高ぶり過ぎて泣きそうだと言うのに。
「いる・・・のだろう?」
その問いに高堂は曖昧に笑った。
「友達、やり直そっか。正直、そこまで悩まれるなんて思っていなかったな。ごめんね。」
「謝るな・・・お前はすぐ謝る。」
「ごめんね。」
茶化すように、もう一度謝罪を口にしたので俺の表情も自然に緩んだ。
「ったく・・・でも俺は、お前が元に戻ってよかったと・・・思う。」
「時間が掛かったけど。」
「あの日のことは忘れて、いつもみたいに戻るんだよな?」
俺がそう言うと高堂は困ったように笑っていた。
「そうだ、傘ある?樋口くん。」
「いや、・・・降るって知らなかったからない。」
「じゃぁこれ使いなよ。」
差し出されたのは折り畳み傘だった。
「高堂は・・・?」
「俺は今日一緒に帰る人の傘に入るよ。」
誰、とは聞かなくてもなんとなく恋人のような気がした。
「そうか。・・・じゃぁありがとう。」
「また明日。」
「あぁ、明日。」
手を振る姿があの時とかぶった。
忘れると言ったのに、フラッシュバックした記憶。
廊下を歩きながら、再び資料室を振り返る。
もし、また戻って高堂が泣いていたらと思うと歯痒い。
もう、向こう見ずに扉を開ける勇気も勢いもきっかけも、俺にはなかった。
踵を返して俺は歩き始めた。
元に、戻ったのだ。