僕は今まで辛いことがあれば忘れようと何度も手首や首を切っていた。

溢れだす血液、朦朧とする記憶。

そこまでは覚えているのにいつのまにか僕は目を覚まし不愉快な感覚を噛みしめるのだ。

 

いつだってそうしてきたことを今回だけはどうしても刃物を自身につきたてることが

できなかった。

でも、血を欲する思いは変わらない。

 

結局、あれからシャズィはすぐに帰った。

暗黙の了解のように、僕は見送って次の満月に思いを馳せるがやはり不安だった。

そんな折、ノックの音が家じゅうに響いた。

 

満月の夜ではない今宵、一体だれが来るのだろうか…――――?

 

嫌な予感しかしなかったが、僕は扉を開けた。

玄関には、あの町でみたシャズィの友人が立っていた。

「やっぱり、お前か…。」

そう言ったのは友人で、いかにも僕を知っている態度だった。

僕は首をかしげるポーズをすると勢いよく中に入ってきてドアを荒らしく閉めた。

「アズサ、お前はいつまでここにいるんだ!?」

名前を呼ばれ、本当にこの人は僕のことを知っているんだと実感した。

僕はと言われれば記憶に薄くシャズィの友人であり嫉妬の対象になったぐらいの存在。

そのギャップを埋めるように僕はおずおずと口を動かした。

「…あの…僕は…貴方のことを知らない…。」

「はあ!?…っ忘れたのか…まあいい。ここによく顔を出す男がいるだろう?」

「…っ…。」

シャズィのことだとすぐにわかった。

「次来たら、そいつを追い返せ。」

「な…何故…。」

「そいつは、お前のことを誤解している。誤解して化け物のお前と一緒にいる。

穢れたお前を憐れんでいるだけだ。病院から抜け出した頭のおかしな患者としか思ってねえよ、あいつは。」

「僕はどう思われたって…。」

「お前は化け物だ。自覚しろ、お前はどんなに頑張ったって善人に何かなりゃしないんだよ!!」

男は叫んで、そのまま僕の服をつかんで壁に叩きつけた。

背中に衝撃は走るが、それよりも言われた言葉の衝撃のほうが大きかった。

 

善人になりたい僕を否定するような言葉に心を抉られた。

「っ…僕が何をしたんだ…、何もしてないっ…僕は何もしてない…。」

「したさ。そのたびに辛くなって自殺を繰り返すバカで愚かな吸血鬼だ。死ねない体は本当に

不便だな?俺らがいくら拷問した所でけろっと忘れてこの巣に戻るんだ。まあ、体が町に来る恐怖を

思い出して絶対に人のいる時間帯には来られなくなったが、まだ足りないようだ。」

その後、男は饒舌に僕の過去の罪を語り始めた。耳を覆いたくなるほどのものばかりだ。

でも自分が犯したという自覚が僕にはなかった。

曖昧で、あったかもしれないと認識する程度だ。

それでも不快感が激しい。

嫌だ、と念じても何が起こるわけでもない。

僕はこの男との会話が嫌で仕方がなかった。もしかしたら全部ウソをついているのかもしれない。

そう思ったりもした。

男は、ひとしきり僕の過去を喋った後で、今度はこう続けた。

「シャズィもバカだよな。お前を人間だと信じたりして。」

はぁ、と深いため息をついた。

「器用で、周りから尊敬されてて…なのに何でお前を庇うのか…やっぱり馬鹿だったよ、あいつは。

皆騙されてる。あいつの人柄に、あいつの経歴に。」

「やめ…。」
聞きたくない、男から語られることは全て嫌悪感でいっぱいになる。

「どうせあいつは、もうすぐ引っ越すから…こんなこと言いたくはなかったが
お前のことだ、それを聞いたらきっとおかしなことを考えるだろう?」
そう話す男がいかにもシャズィを見下したような言い方だった。
僕は引っ越すという事実すら、知らなかった。
目を丸くして僕が呆然としていると男はしまったといわんばかりの表情をした。


これは嫉妬だろう。

僕はどうしてこの男から聞かなければならないのだろう。
森が閉鎖されるからいなくなるんじゃない…シャズィは黙って僕の前から消えようとしているんだ。
そう思うと、僕は目の前が真っ暗になっていた。


僕は、先ほどまでの悪逆非道な行為を自身がやってものではないと否定していた。

しかし、今はそんな考えが次から次へと浮かんでいる。

体を壁に押し付けられていたはずがいつのまにか男を床に叩きつけていた。

 

「っ・・・!!?」

驚いたのは男の方で、僕はいたって冷静だった。

シャズィの時は嫌われたくない一心で、抑制していたものがこの男には一切効かなかった。

全部全部、この男のせいだと責任を丸投げして僕は男の首に噛みついた。

 

血液に美味しさなどは感じない。

ただ、血を飲んだら今度は必ず殺さなければならない。

そうじゃなければこの男を吸血鬼にしてしまうからね。

 

僕は素早く心臓を近くにあった刃物で抉った。

血が溢れんばかりに床に飛び散る。

久々に血を浴びて僕は胸がすっとしていた。

 

見るも無残なシャズィの友人に僕は二度と息を吹き返すことのない男にまた嫉妬をして

家から連れ出して庭に埋めてやった。

 

殺しは呆気なかった。

僕は簡単に人を殺せる男だったのだ。

善人である妄想を繰り返すだけで、あの男の言っていたことが全て真実だとするならば

僕はとんでもない悪魔だ。

 

町の人間が恐れる悪魔の子…吸血鬼…男を埋めた後、僕はソファーに座ってぼんやりと

死を思い描いた。

 

「シャズィ…。」

 

血のついた手を見ながら僕は無性にシャズィに会いたくなった。

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