満月の夜、変わらない時間にシャズィはやってきた。
いつもと変わらない笑顔。
僕も何食わぬ顔で家に招いて紅茶を差し出した。
寄木細工を隣で並べながらの談笑。
恐ろしいほど普段通り。
僕はそこに違和感を覚えていた。
しかし聞けるわけない。
シャズィは前回の時のような暗い影を落とすわけでもなく
明るい口調で僕に話しかけてくれる。
無邪気で、屈託なく笑うその表情に胸が高鳴るのを感じたが
そのたびに心臓に手を押し付けた。
「ん?心臓でも痛いのか?」
「いや、別に。」
僕が言うと癖っ毛な黒い髪を掻きながら「そっか」と言う。
それから紅茶に口をつけて、至福そうな表情をこちらに向ける。
「アズサって、紅茶いれるの上手だな。でも、自分のはいれないんだ?」
その言葉に一瞬どきっとしたが平静を装ってぎこちない笑顔を向ける。
…あまり笑うのは慣れない。
「好きじゃないんだ。」と言ってみるがそれだけじゃ納得いかないといわんばかりの
表情をシャズィはしていた。
「へえ。そういや、一度もアズサが何かを食べているのってみたことないな。何食べてるの?
買い物ぐらい…してるだろ?」
さぐりをいれるかのような言葉たちに僕は訝しげに眇めながらひきつった笑いを浮かべた。
「えっ…あー…うん。届けて…くれるんだ。普段はあるもの食べてる…。」
苦し紛れ、ひねり出した言葉にシャズィはやはり納得はしていないようだ。
「俺が何か作ってやろうか?」
「え!?い、いや…いいよ…そんなの…。」
本当はその言葉自体はとても嬉しい。
しかし体は食糧を受けつないので食べれるわけでもなく首を横に振る。
「何だよ、じゃあせめてお茶ぐらい一緒に飲まないか?」
「喉乾いてないから。」
「ははっ、ほんと…アズサは俺のこと嫌いかー?」
冗談っぽく笑いながら僕にそう問いかける。
心臓が持たない。
「そ、そんなことない!」
そんなこと言われたら勢いで好きだと伝えたくなる自分を必死に抑えつける。
それにしても、僕はいつからこんなに自分を抑制するのが難しい人間になったのだろうか…?
「共有できるのはこの寄木細工だけかー。あ、アズサさ、この森ってアズサ以外に人とか
住んでるのか?」
今さらだけど、と付け足された言葉はずんと僕の胸に沈んだ。
思い出したかのように言っているが今日の本題のような気がした。
いつも通り、普段通りだと思っていたが今日は僕の心臓に悪いことばかりだ。
「居ないんじゃないかな…。」
もしかしたらあの噂、僕のことについて何か言われるのじゃないかと思うと自然と顔を険しくなる。
「そっか。」
相槌を打った後、シャズィは姿勢を整えて深呼吸をした。
そしてテーブルに肘をついて指先を合わせるポーズをとった。
そこにいるシャズィはまるで学者のような目つきで、鋭く僕を見た。
「俺の住む町の人間はさ、少しだけ信じやすいんだ。幽霊とかをさ。」
忠告ともとれる言葉は淡々と語られていく。
「いつからアズサがそこにいるのかわからないんだけど、町の人間はアズサを化け物だと思ってるよ。
もちろん、僕はそう思っていない。ただ、もしかしたら今後この森は完全に閉鎖されてしまうかもしれない。」
「えっ…。」
森が閉鎖…つまり、森の入口を塞ぐということはシャズィにも会えないということだ。
「俺はもしかしたらこの森に来られなくなるかもしれない。でも、アズサが化け物ではないと
証明できたら…町の人は目を覚ますかもしれないんだ。」
必死そうな訴え。
証明、それは僕のためなのだろうかと可愛げのない思考が頭を過る。
シャズィの整った顔はいつしか歪み、頭を垂れて沈黙する。
シャズィに会えなくなるのはとても悲しいこと。
でも僕はあの町で晒されるのなんて絶対に嫌だった。
それに、僕は吸血鬼で人間であることを証明することなんてできやしない。
町の人間だって、もしかしたら僕を知っている人だっているかもしれない。
それに僕は何度も自殺を図って何度も生き返っている。
血を自ら奪うごとに記憶は曖昧になるもので、僕には古い記憶なんてほとんど残されていない。
それでも体は、人を恐れて体は強張っていた。
何も喋れなくなった僕にシャズィはあわてて僕を抱き寄せた。
微かに震える僕に気付いたようであやすように背中に手を回して数回叩く。
震える体よりも早くなる鼓動に恥ずかしさを覚えてもぞもぞと抵抗をするがシャズィは耳元で
謝るだけで離してはくれなかった。
シャズィの首筋に、血の流れる様子に体が火照る。
僕の両手はシャズィに回すことなく余っていた。
嬉しい、こんなにも近くにいてくれることに喜びを感じるが僕自身が触れることに抵抗があった。
何かの間違いで、僕がもたついている間にシャズィの体が離れればいい。
そうしたら僕も何事もないように手をまた膝の上にでも置いておくことができる。
呆然としたままの僕とシャズィは相変わらず謝罪を繰り返していた。
「大丈夫だよ…シャズィ?」
どうしていいのか分からず、ひとまず安心させようと吐いたセリフでやっとシャズィの体は離れた。
寂しいようでやはり安堵が上回っていた。
「ごめ…急に抱きついて…。」
とっさの行動だったと、笑って見せるシャズィ。
「別に…。」
僕の感情はどんどん加速がついていく。
それなのに、やっぱり重要な、言いたいことなんて僕は何一つ言えやしないのだ。
「好きだ。」なんて、どうして言いたいと思ってしまうのだろう。
僕はシャズィの顔をまともにみることなんてできなかった。
首筋に頭が埋まった瞬間、やはり僕の思考は誤った方向に向いていたのだ。
悪魔の子は、結局は悪魔の子なのだろう。
それでも僕は、シャズィの友人でありたい。
葛藤は葛藤を呼び、もうずっと頭の中はぐちゃぐちゃだ。
いつか壊れてしまいそうな自分に、刃物がちらついた。
忘れるには自身の血を抜いて忘れるしかなかった。
何十年か眠ればまた目が覚める。
そうして何事もなかったかのように孤独に生きればいいのだ。
僕には、この人付き合いは恐ろしく罪深いものに思えてきていた。