あいつが生まれる前、あいつの母親は酷い男に騙されて心神喪失状態だった。
自暴自棄になって宿した命を殺そうとしたところに一人のヒーローが登場。
と、いっても女性であった。レズビアンでずっと母親のことが好きだった。
特にその二人に進展があったわけではないがヒーローの登場により何とか
命拾いしたのが今から話す男のこと。母親の名前はイーリー。宿した命には既に
「クローネ」という名前がついていた。
イーリーは何とか精神的にも安定したとはいえやはり不安定だった。
ヒーローはそんな彼女と子供が心配し同居していた。
なぜヒーローなんていうかというと、そのレズビアンの女性はオンといって
いつも黒いストライプのスーツをきて、一見すると綺麗な男性。
新しい恋人と同居しているという噂が立つほどだ。誰もオンを女性だなんて思ってはいない。
「大丈夫だから。」
口癖のようにオンはそういってイーリーを励まし支え続けた。
確信なんて何もない。ただ暗闇しかみないイーリーをひたすら光に導こうと必死だったのだろう。
オンはイーリーにとってただのいい人に過ぎなかった。
しかしそれはずっと前からわかっていた。
オンもオンで、そろそろヒーロー失格であることに気づいていたのだろう。
オンはイーリーの子供を、イーリー以上に大切にしていた。
まるで自分の子供のように。
月日が流れ、無事にイーリーは子供を生んだ。しかし、女だと信じて疑わなかった子供の性は男だった。
取り出した瞬間、それがわかった時点でイーリーは産気づいたのかあっけなく死んでしまった。
いや、本当のところはわからない。
オンはイーリーを墓守に任せてその男児を連れ出した。
その男児の名前は「クロフォード」愛称はクロ。オンは大事に育てた。それはそれは、自分の子供のように。
それでも、やはり自分の子供ではないからいつかは言わなければならない。
しかし言わないままのほうが幸せだった。
オンはイーリーには愛されなかったが、「クロ」には愛された。
無条件に与える愛、それを受け取るクロは幸せだっただろう。
どちらにとっても幸せだった。
オン自身は全うな仕事についてそれなりの役職も持っていたいわばエリート。
ただ、それ故にクロが大きくなればなるほどクロとの時間が減っていった。
クロはそのころ、小学校でいろんな友達を作って楽しくしていた。
ちょっと変わった子、なんていわれていたが他者との違いを子供のほうが意外と簡単に
受け入れるわけで、危害を加えないクロをいろんな人間がすいていた。
しかし、オンはそれをよしとは思わなかった。
いつかはクロがいなくなってしまうのではないという妄想に取り付かれてからは
オンは少しずつ壊れていった。
執拗なまでにクロを家におきたがり、自身も仕事を休みがちに。
おかしいと思った人間が病院で入院させようと思うと脱走を繰り返す始末。
問題のある人間というレッテルを貼られてやむなく強引な方法で入院させられた。
そこからがオンにとって人生の終わりのカウントダウンだった。
退院してからというもの、今度は記憶に障害(その病院で何か違法行為があったに違いない)が残った。
ある意味で記憶喪失のような状態だ。あれだけ執着していたクロのことを忘れ、また昔のように
イーリーに思いをはせていた。
顔が似ていたクロをみて、「イーリー」というとクロは当たり前だがきょとんとした顔で母親だと思っている
オンをみて「どうしたの?」と聞くのだ。
「誰?それ?」
クロがそういうとオンは
「あなたじゃないか。どうしてそんな男っぽい格好をしているんだい?」
と尋ねるのだ。
そのころのオンは年を重ねていたがまだまだ二枚目俳優さながらの容姿に違いなかった。
クロでさえ、お母さんというよりはお父さんのような存在に見ていた。
やさしい手つきでクロを抱きしめながらオンは必死にイーリーの名前を呼び続ける。
仕方がないからクロはイーリーということにしておくことにした。
ただその要求を呑んだ後からどんどんと増していく要求。
際限のないその要求に、幼いクロはどうしていいのかわからなかった。
それでもクロはオンが好きだった。
だから、無理難題も無邪気に答え続けた。
しかし、限界はすぐにきた。
体が男になればなるほど、オンはクロを拒絶し始めた。
イーリーが消えたと叫び暴れる毎日に変わった。
しかしたまに正気に戻れば愛していたし自身を責め続け傷つけていた。
「」
働けなくなったオンのかわりに、クロが働き始めた。
金がないわけじゃない。ただ、クロはイーリーになることができなかったというだけのこと。
仕事は順調だった。勉強よりもクロは労働を好んだ。
オンのことも愛してはいたが手の届かないところにいってしまったと感じていたおかげで
家に戻ることが少なくなっていった。
ある日仕事を終えた後、久々に家に帰ろうとしたときだ。
いつもと様子が違うことに気づいた。
クロが面倒を見ない代わりに、ヘルパーを雇っていた。
それが最期だった。
ヘルパーに無残に殺され財産を奪われた部屋。
何日もたっていたようで、腐臭漂うその部屋によく苦情がこなかったなと思うほどだ。
変わり果てたオンは胸から腹へ十字の傷をつけられていた。
その時、クロは初めてオンが女だと知って驚いた。
変わり果てた姿、間違えていた性認識、そして握り締められていた写真に目についた。
「・・・あ。」
そこにはイーリーとオンが写っていた。
イーリーはすぐにわかった。あわててクロは自分の顔を改めてみた。
何度もその写真と見比べて、それがどれほどそっくりな顔であることをしった。
そしてその意味も・・・。
裏切られた気持ち、その憤りをどこへぶつけていいのかクロにはわからなかった。
ただしクロは、まともな人間だった。
が、「静かなる隣人」なんていわれるほど物静かだった。
常に誰かの隣いる、しかし誰もが彼の名前を知らない。
それは名づけたオンでさえ、結局はその名を呼ぶことはなかったのだ。
大人になったクロをオンは隣人が遊びに来た程度に思っていた。
だから帰らなくても平気になっていたわけだが。
そんなわけで、ここからクロの話が始まる。
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