モリアが転がり込んで3日が過ぎた。
しかし、モリアは大半を眠りに費やすため、僕自身あまり実感がわかなかった。
顔を合わすことも少なく時が過ぎたため、あまり一緒に住んでいると言う感覚もなく
僕にとっては楽というのが率直な感想だった。ただ夕方になっても起きてこないで、
夜になっても静かなままの客間に少しだけ不安を覚えて夕飯に呼びに行こうとすると既にモリアはそこにいる。
3日間このデジャヴを感じていた。

指も最初の時以来、状態を確認していなかった。
「その包帯・・・勝手に?」「慣れてるんだ。これくらいは自分でやる。あの時は医者を」
器用に巻かれた新しい包帯に医者が目を遣るとモリアは相変わらず具合が悪そうだった。

「今日はこれからクライアントが来ます。昨日もあれから寝ていましたが、・・・寝ていますよね。」
「食欲ないから、いいよ。腹減ったら勝手に出ていくから。」
「出ていくときは客間からの階段を使ってください。」
「はいはい。おやすみ。」モリアは倦怠感を顔にまで表してゆっくりとベッドへと向かった。


9時に来ると言ったクライアントは時間丁度に来た。電話で聞く限り、精神的なものが関与しているようで
再三ここではカウンセリングはやっていないと言ったのにも関わらず無理やりきたのである。
どんな男かと、ひどく淡白な想像をしていたがドアを開けた瞬間から裏切られた。

2、3の質問形式の会話をしながら何気なくクライアントの顔を見ると、無表情だった顔は笑みを浮かべていた。

「貴方は俺のこと、嫌いでしょう。」
質問を無視した突然の回答だった。ソファーに座るように促しながらも自己嫌悪が頭を巡る。

困ったことにこの台詞はありとあらゆる人間に言われてきた。
でもまさかクライアントにまで言われるなんて思わなかったのだ。
「そんなことはありませんよ。」
笑顔で返すがそれ以上のことは言えなかった。
 
このクライアントは、男の僕から見ても美しいと感じる中性的な容姿、浮世離れした存在感に惹き付けられた。
ドアを開けた瞬間、思わず目を奪われるほどだ。
ただ、容姿に対しては十分な魅力を備えているが、此所に来たときから言動や行動が不安定で落ち着かず薬を
使用の可能性も考えられ、精神的な幼稚さも感じずにはいられなかった。

「ドクターは誰にも言わないんだよね?これから話すこと。」
ぎこちなくソファーに座り直しながら落ち着かない様子で言った。
「守秘義務はありますが・・・サハラさん、貴方はこんな町医者じゃなく精神科のある都心で見てもらった方がいいですよ。
それか良い教会があります。この町の神父さんはとても親切ですよ。」
「クリス神父は駄目だよ。俺のこと嫌いだから。いいんです、ここで。」
「そうですか・・・。」

「こないだ、好きな人の骨を折ったんだ。指だけだけどね。」
間を置かずにクライアントはいきなり本題を喋り始めた。
「後悔していますか。」
そういうとクライアントは曖昧な笑みを浮かべた。

「好きだった。最初は会えるだけで良かった。でも、違った、会えば会うほど独占したくなるんです。
でも俺の気持ちには、彼は答えてくれなかった。」
彼と言う言葉に、モリアがふと頭に浮かんだ。
「・・・それは男性だから?それとも貴方だから?」
「手厳しいね。性別だけの偏見ならいいんだけど、きっと僕自身が嫌いなんだ。」
そういってため息をついた。
薄々感じてはいたが、これがモリアのいっていた人なのだろう。律儀にここに足を運んだのはもしかして
モリアがここにいることに気づいているのではないかと僕は考えた。

「仲違いしたままですか。」
「いなくなっちゃった。したいよね、仲直り。そうしたらまた好きだって、何回だって言って必要としてあげるのにね。嫌がるんだ。」
「押し付けているみたいにも感じますよ。」

「ははっ、本当に俺が嫌いみたいだ。説教は望んでないよ。」
「貴方は彼を傷つけたいんですが?」
クライアントの言葉を無視して医者がそういうと、笑いながらとんでもないと膝を叩いた。そして重心を後ろ置いて
リラックスしていたクライアントが途端に前のめりで顔を近づけた。
「傷つけるのはいつも彼のほうだ。いつだって酷いことを言う。・・・それでも好きで、俺は確かに彼を閉じ込めて
俺だけをみていて欲しいという欲はありますが現実は違うね。」
「へぇ。」
近くにある顔を見れば、いかにこの男が容姿端麗であるかがわかった。きりっと眉をあげてこちらを
覗き込まれると思わず顔を逸らしてしまった。
嫌われているとは、こういったちょっとした仕草なのだと自覚はあるが直せなかった。
「貴方は、・・・」
「サハラだよ。今さらだけど名前で呼んでよ。」
「サハラさんはこれから何がしたいんですか。何を言いに来たんですか。」

「モリアさんを治したのは貴方ですか。」
名前に、思わず反応した。
「えっ・・・」

「困るんだよね。俺のモリアさんが誰かの手で誰かのおかげで治ったりしたら。」
クライアントは笑顔だった。 しかし、怒りが内在されているようなどうにも言えない威圧感を感じた。

「何が目的ですか?」
「あははっ、肯定が早いなぁ。」
そういって笑うとクライアントの手が僕の手に当たるとびくりと肩が震えた。冷たい、死人のような冷たさだった。

「返してよ、モリアさんを。」
ここにいるんでしょう?と耳元で囁く。
「いません。」
「嘘つき。」
「モリアは貴方に迷惑していました。」
「知ってる。」
「じゃぁ何故?」
「好きなんだ。謝りたいし、何より俺はまだモリアさんといたい。」
「反抗すれば今度は足でも折りますか?貴方がやろうとしていることは愛情表現ではなく支配です。」
僕は声をあらげて言った。何故、こんなに守らなければならないんだと内心自身の偽善にうんざりしていた。
口からは正義感溢れる台詞ばかりが漏れている。

「ドクターはモリアさんのことが好きなの?」
「貴方のような好きではありません。」

「ドクターは、モリアさんのこと何も知らないでしょ。医者と患者程度なのか友人同士なのかは詮索はしないよ。
ただ、俺は100年探してやっと見つけた大切な人なんだ。俺の方が上だよ。」
「何を言ってるんですか・・・。」
「俺は人じゃない。モリアさんも人じゃない。ドクターにはいくら俺が言ったところで理解してくれない。
ドクターの類いは頭が固いから、自分以外の人間を病院に入れて支配したがる。」

「病院から逃げてきた患者みたいですね。」

「まぁ、そうなるね。あ、昔のアメリカのどっかの州は警察とヤった女がガキが出来てそいつに言ったら
病院行きになったらしいね。反抗すれば脳に悪い電気を送ってお仕置きだって、怖いね。」
脈絡のない話に僕は少し恐怖を感じていた。クライアントは相変わらず淡々とした口調で話をする。
「俺はドクターを信じてた。優しいドクターだったんだけど、嘘だった。ドクターは悪い奴で、俺は最悪の屈辱を味わいましたとさ。
いいたいこと、わかるでしょ?」
「それで、逃げてきたってわけか。」
「モリアさんのことはそこで知った。正常な患者たちはモリアさんを慕っていたからね。」
「モリアも病院に?」
僕が聞き返すとクライアント見下したように鼻で笑った。
「ほら、何も知らないでしょ。」
「確かに、病院にいたなんて知りませんでしたよ。」
「モリアさんの話を聞けば小説家だっていう。彼のファンは一字一句間違いなく暗唱することができたから暇潰しに聞いたんだ。
そうしたら、そこに懐かしい俺がいた。そこから、俺はモリアさんのファンになった。そりゃあもう狂信的なほど。
ただ、それだけじゃなかった。うん、そう…それだけじゃないんだ。」
クライアントは目を細め、幸せそうに微笑んだ。

「・・・貴方はやはり病院で診察を受けた方がいいです。」

「モリアさんがあんな荒れた町にいるのはある作品を盗作したからだっていうのは知ってる?」

「・・・いえ。」
まず言葉がすんなりと耳に入っていくために口からは考え足らずの回答が漏れる。
僕の回答に先ほどの見下したような視線から離れてため息混じりの笑みを浮かべていた。
「ドクター、きっとモリアさんを一番に裏切るタイプだね。まるで昔の俺だ。」
「何が言いたいんですか。」
「別に。今日はもういいや、モリアさんには待ってるからって伝えてよ。今日は何もしないからさ。」
「伝えません。」
「そ。じゃぁ、何も知らないドクターに優しい俺はパンドラの箱をあげよう。」
「は?」
「ふふっ、モリアさんの骨折した指をみてみなよ。今日の話が妄想かどうかすぐわかる。」

そういうとクライアントは立ち上がった。
先程の表情とは少し違った。
「帰ります。本当は、こうなるはずじゃなかったんだけどなぁ・・・。」
不満そうに口を尖らせて髪をぐしゃぐしゃと掻きながら、クライアントはため息をついた。
「俺は純粋に好きなだけで、それを理解して欲しかったのに、話がずれちゃった・・・。」
呟きながら、ドアに向かう。その時のクライアントには、もう僕の存在は見えていないようだった。

バタンとドアが閉まればクライアントの姿は消える。
しかし、何となく後味の悪さが残った。